ママにゃーのブログ

一型糖尿病の主婦の日記

11 子育ては自分育て(糖尿病と出産)

こんにちは、一型糖尿病の主婦、ママにゃーです。

子育ては自分育て、だったなぁ、と思っています。
…『思っています』?
はい。
出産前後の事は、…あれは、あぁだったかなぁ?
みたいな、遠い記憶へと、その姿を変えてしまっているのです。

そんな風に、記があいまいな場合は、記をたどってみましょう!

ワタクシの手持ちの、一番古い医療記録は
SMBG(血糖自己測定)ノート、平成8年(1996年)9月~の物です。

糖尿病の確定診断は平成6年3月。
平成6年の年末~平成7年初めには、過食症で入院していました。

なのでこのノートは、わりと発症後初期の、記録です。
平成8年6月 HbA1c11% と記入されてます。(正常値4.6%~6.2%)
まぁダメな感じの値ですよね!11%って!
血糖値の記録も、1日1回、就前のみ。

しかし徐々に、
平成8年11月 HbA1c 8%
平成8年12月 HbA1c 7.4%
平成9年4月 HbA1c 7.2%

血糖コントロールは改善を見せ、
このタイミングでで結婚しました。平成9年6月でした。

平成9年7月 HbA1c 6.7%
平成9年8月 HbA1c 6.5%

息子の誕生が平成10年9月なので、担当医から妊娠の許可
(体調コントロールが良く、母子ともに安全な妊娠が期待できるという診断)を貰おうと、
血糖コントロールを頑張っていた様子がうかがえる数値ですね!

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とはいえ出産後3年間のSMBGノートは紛失しており、
その間にノートは、色もデザインも名称も変わっております。

出産⇒産休・育休⇒仕事復帰の
てんやわんやが伺われます。

因みに下の↓写真は、左が発症当初の記録、右が第二子妊娠中の記録です。
妊娠中は、普段健康な人でも、高血糖になりがちな期間です。
血糖コントロール通常の3倍の厳しさを求められます。

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第一子妊娠の許可を貰って、担当医も代わりました。
今までみて下さった、少年のような元気な女医さんから、
冷静沈着、クールでクレバーな女医さんへ。

ワタクシは診察中、『もうできません』『無理です』と泣き言を言い、
時には本当に泣く、という困った患者でした。

自分で自分を追い詰めて、食べ過ぎたり、食べ過ぎたりする日々でした。
このままでは、お腹の子どもに悪影響があるのでは、と怖くて不安になり、
そして食べ過ぎる…

妊娠中は、なるべく血糖の上下の波を減らしたいので、担当医の指示で
一日に三食の食事を、半分ずつに分けて、食事の量は同じまま、六食にしました。

しかし、仕事中に、朝食②、昼食①、昼食②、を食べて、
時間通り帰る職員って、仕事になりませんよね。
職場の方はご理解もあり、ご親切でしたが、何より自分が許せない。
『こんなにできない子じゃないのに!!』
と自分で自分をきりきり舞いさせておりました。

まぁ、妊娠をする、出産をするという事は、
今まで通りの仕事を諦めていく事もあり得る、
と覚悟して臨めるほど、知識も経験もありませんでした。

決して仕事は好きではなかったけれど、自分が職場のお荷物にはなりたくない!
という気持ちが強かったです。

クールでクレバーな女医先生から
『良い?もう逃げられないの。』
『一生懸命に頑張るしか道はないの。』
『もしそれで赤ちゃんがダメになっていまったら、次、頑張ればよいから』

と、言葉は違ったと思いますが、そういった趣旨の言葉を告げられました。

逃げられない、上手い事やって誤魔化す事はできない。
もし、せっかく授かったの命をこの世に送り出すことができなかったら、
それは、この場合、間違いなく自分のせいだろう。
でも、先生はそれを責めない。

命はそれだけ貴重で、脆く、有難いものであること、
そして、どんなに関わる全ての者が手を尽くしても失われる事があると、
先生は実際にご覧になって来たんだ。
私にできる事は、逃げずに、ただ一生懸命頑張るだけで、
その結果は、神のみぞ知るなんだ。

先生の言葉をそんな風に受け止めて、私は踏みとどまることに決めました。